近江 彦根城 彦根城・天守閣[国宝] 2000年5月1日 名称 彦根城 城の種類 平山城 ゴールデンウィーク真っ最中、大阪まで行く途中。 無謀にも仕事の同僚と東京から車で移動する途中に小谷城・ここ彦根城とを廻ってきました。 彦根城の天守閣は、全国にある現存天守・十二城の一つになります。 本丸に入ってから見る天守の印象は、広い広場の端にポツンとあるようなちょっと寂しい存在でした。 しかし現存天守に登城するのは、犬山城以来二回目でなのすが、屋内の梁の大きさや太さは登城の度に驚かされます。 彦根城、第二のみどころでもある天秤櫓です。 鐘の丸(写真左側)と本丸とを繋ぐ廊下橋から望むと、左右対称に見えることからこの名前が付いたとされています。 この写真からは見えないのですが、左右に隅櫓があります。 この櫓は長浜城の大手門を移築したとされています。 解体修理の際、瓦から長浜城主の内藤家の定紋が発見され、その裏付がされたともいえます。 左の写真が西の丸の三重櫓です。 この櫓も小谷城の天守を移築したとされていますが、これを裏付ける証拠は無いそうです。 小谷城は落城後、しばらくした後に長浜城の資材として移築されています。 彦根城は長浜城の資材を多く使用しているので、元々小谷城の資材であることは考えられます。 が、実際のところはどうでしょうか? この西の丸まで来ると、本丸にはたくさんいた観光客も、ここまで訪れる人はまばらでした。 左下の天守下の黒門に至っては、誰も居りません。 自分としてはこのような苔むした石垣が好きなのですが…。 彦根城と云えばやはり井伊家でしょう! 徳川家の歴史の中で数々の武功を挙げ、この彦根藩も当初18万石だったのが、大阪夏の陣などでドンドン加増され、最終的には35万石にもなります。 また江戸時代を通じて、譜代大名の中で国替えがなかったのは、この彦根藩だけと云っても過言ではないでしょう。 西国大名への監視、京都の守備。 また彦根藩から大老が輩出すること6回、幕府からみてもこの井伊家は特別な存在といえます。
近江 彦根城
彦根城・天守閣[国宝] 2000年5月1日
名称
彦根城
城の種類
平山城