近江 小谷城址 小谷城 2000年5月1日 名称 上平寺館跡 城の種類 中世山城 ゴールデンウィーク真っ最中、大阪まで行く途中。 無謀にも仕事の同僚と東京から車で移動する途中にここ小谷城と彦根城を廻ってきました。 同僚は節約家でなんと大阪まで高速を使わず、総て一般道で此処まで着ました。 東京を出たのが夜の10時ごろ、ここ彦根城に着いたのは朝の6時ごろでした。。。ノンストップ! まだデジカメを使い初めで、あまり良い写真が撮れなかったのが残念です。 寝不足に加え、電池切れでデジカメのスイッチを入り切りしながらの撮影でした…。 また、この小谷城の下調べさえしていなかった有様。 山王丸にある野面積みの大石垣を見られなかったのが大きな失敗です。 この城は前々から登城してみたかっただけに。。。 う〜ん。 後悔先に立たず! 左の写真は馬洗い池です。 お馬屋が近くにあったからこの名前が付いたのでしょうか? 確かに馬が水浴びを出来る位の大きさがあります。 ですが、実際は城兵の飲み水だとは思いますが…。 左の写真が本丸の石垣です。 実際は上部の所まで石垣が積まれていたようですが、現在は左のような状態です。 この本丸の裏には、大規模な堀切があります。 説明看板に、信長軍の総攻撃の際、浅野長政の父、久政が堀切の向こう側に居り、長政より先に攻撃を受け、最期を遂げてしまいます。 何日かした後に長政も自刃してしまうのですが、それまで敵の攻撃に耐えうるほどに、本丸裏の大堀切は巨大でした。 説明が前後しますが、一番上の写真が山王丸の一段下にある石垣です。 石塊の大きさが印象に残ります。 この小谷城の中で一番大きなものに感じました。 (山王丸の大石垣は見ていませんが。。。) 左が小谷城の最高所の山王丸です。 この付近に大石垣があったのですが、見落としてしまいました。 みなさんご存知、浅井氏の歴史を説明するのは無用でしょう。 信長の「天下布武」の下、もっとも抵抗した浅井&朝倉連合軍は、歴史上においても重要な存在です。 姉川の合戦後、徐々に敗戦濃厚になっていき、この総攻撃の際の小谷城の城兵は、わずか500名足らずであったと云われています。
近江 小谷城址
小谷城 2000年5月1日
名称
上平寺館跡
城の種類
中世山城