讃岐 丸亀城

黒井城:本丸

丸亀城 天守閣 2002年8月17日

名称

丸亀城

城の種類

平山城


 現存天守の十二城の一つ、讃岐 丸亀城です。
広島県在住の方からの写真です。 ありがとうございました。  <(_ _)>

 京極高和が万治三年(1660)に建てた天守です。 現存天守十二城の中でも一番小さい天守閣だそうです。 (自分では備中松山城より小さいの?と、写真上では感じてしまいますが)

 本丸には天守のほか四隅に四つの櫓があったようです。
 石垣などは寛永十八年(1641)に山崎氏によって、一旦廃城となった丸亀城を大修築し、再建されたものです。

【北海道の方からいただいた情報】 2005.06.10
『 丸亀城は一階平面11.526m×9.387m、建物高さ石垣天辺から棟まで14.468m、備中松山城の一階平面13.88m×9.91m、高さ10.928m。備中松山城の場合北側と東側に入母屋破風のついた張り出し部分があり、さらに西側には八の平櫓と結ぶ渡り櫓が付いていますので、一階平面は更に大きく見えます。』

 なるほど、備中松山城には付櫓があるため、底辺が広くなっているのですねぇ。
付櫓を除く天守閣自体の敷地面積で云えば、高さ・広さともに丸亀城の天守閣が大きいことが判りました。 情報ありがとうございます。 <(_ _)>

【丸亀城の歴史】
 丸亀城は豊臣秀吉の信任により生駒親正が天正十五年(1587)に高松城を与えられましたが、その後、老齢に達したので西讃岐を嫡男の一正に譲ったところから丸亀城の歴史が始まります。
 関が原の合戦のときは、親子が東軍・西軍に分かれ勝者の嫡男・一正が讃岐一国を与えられ高松城を居城としました。 元和元年(1615)の一国一城令によって、丸亀城は一時、廃城となりますが、三代目の高俊の時代に『生駒騒動』が起こり、出羽矢島1万石へ減転封してしまいます。
 西讃岐には丸亀を城地として、山崎家治が入封しますが、やはり三代目の治頼の時に無嗣断絶し、播磨竜野藩より京極高和が入封します。
 この佐々木源氏京極家の宗家である丸亀藩・京極家は、幕末まで続きます。

 左の石垣の近くには「「石垣の美」」と称した看板があったということです。。。 何となく伊賀上野城の石垣にも似ています。。。